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三都物語

今回のホスト役は東京のwhiteさん、それを受けてからのエッセイがフィレンツェのihokoさん、そして〆が私でございます。

リンクから、それぞれのエッセイをお読み頂ければ嬉しいです。

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今回のホスト役White さんが、お墓について書かれた。ん〜、難しいお題。

whiteさんがセーヌ川に骨を蒔いて、、と事ある毎に周りの方々に仰っている、、、との文を読んで、私も似た思いを抱えていたのを思い出しました。

映画の世界から、なかなか現実に戻れない私、、、二十代の時に観た"マディソン郡の橋"を観てから、すぐに私も
モンパルナスタワーから蒔いて欲しい!と思っていた事があります。

パリの何処でも良い訳なのですが、モンパルナスが私のパリでの原点なのでそう思っていたのでしょう。

話が少しずれるかもしれませんが、

日本は家系や家系の周りの世間体をかなり気にするお国、さらにしきたりがとても厳しく難解。
お墓については、家族それぞれの考え方もあるでしょう。


フランスも、日本のお盆のような、お墓参りをする休日がありますが、、、
お葬式など、身近な人達にあった場合も、日本のそれよりはラフに見えます。

フランスのお墓事情は、、、
正直に申し上げて、よく知りません。


ともかく、私自身は、何処で埋葬されても、祈っても、精神は決まった場所に戻るのだから、と勝手な確信を持っています。
笑われるかもしれないけれど。

そして、、、


お墓と言うお題から少し離れますが、、、


日常でも、何か祈りたい、心を鎮めたい時に、今は物理的にどうしてもお寺さんや神社さんが直ぐ近くにありませんから、どうするか?と言うと、もちろん私は教会へ行きます。

三都物語_c0181947_3323059.jpg



信仰のスタイルが違っても神様は一緒だと思っているので、一応、教会へ入る時に心の中で
"お邪魔します。祈らせて下さい"
と、伝えます。

教会まで行かなくとも、究極は家で祈っても良い訳ですが、、、

仏教はどんな点がキリスト教と違うの??とフランス人の友人知人に聞かれる時に、私はこんな言い方をします。

:::::キリストのように神様、なのではなく、釈迦は人間で私達と一緒。
つまり愛憎も憎しみも私達と同じ様に体験した上で出家し、生きる苦しみや混沌から少しでも自分を解放出来る様に、、と言う教え、つまりフィロソフィーのようなもの。
だから、震災の時の、災難の中での落ち着いた日本人の姿勢に世界が絶賛したでしょ?
日本人は、無意識に、敢えて仏教を意識しなくとも、自然に生や死を視野に入れたこのフィロソフィーを教えられて育っているから自然にそうなれる。フランス人が簡単に最近使っているZen(禅)は、一言でなんて語れない、もっと深いもの。そして、人間なら誰でもある苦悩を克服する為の知恵が満載なのよ。 :::::

三都物語_c0181947_16253476.jpg



(私なりの解釈と解説なので、ご笑納下さい、、、)

取り止めのない文になってしまいましたが、、、
人それぞれ、考え方の違うお墓について語るのは非常に難しいですね〜。
また、自分が海外に居ながら私がこう、とはっきり今言える事でもなく。

こうでなければ、と言う強いこだわりは全くない、と言う点では、今回の三都の三人とも共通していた、と言えるでしょうね。

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by 40ansparis | 2014-06-06 16:24 | 三都物語 | Comments(20)
Commented by hairpriori at 2014-06-06 18:53
ココはアレキサンドロ3世橋でしょうか・・
私もセーヌに骨撒いて貰おうかなぁ^^
Commented by ihoko at 2014-06-06 19:31 x
今回のお題は、なんとも難しかったですよね~。
と・・あのですね。水を差すようで申し訳ないのですが、キリストも神の子ではあっても人として生きて、そして、死んでます。
いつも思うのは、日本人っさ最後の最後のところで、諦観というDNAが頭をもたげてしまう民族なんじゃないかと思うんですよね。ラテンのしがみつくような執着は無く、かと言ってイジイジと諦めるのではなく、ある一線を越えると、一本、すっと何か突き抜けたような諦観。

そうそう・・こちらの葬式の余りのラフさに、ものすごく驚きました。
喪主がジーンズによれよれのシャツ。私、レースが顔に掛かる帽子をかぶり、黒真珠のイヤリング。しかも黒い手袋までご丁寧に手に持っちゃったりして、亡くなった人に実に申し訳ないほど、注目を集めてしまい。身の置き所がなかったです。あれ以降、気をつけとります。
Commented by akicosmosA at 2014-06-06 20:22
まるで海外のお葬式はわかりませんがお墓を持ちそこに父母がるとおもうとやはりお墓参りにいってしまいます。娘たちには何も言いませんが夫は私たちのお墓参りに行く姿で何か伝わるだろうといいます。
私も夫もお葬式をしてくれるなら簡素で娘たちだけでよいと思ってますが死んだあとお金も残らない人生ですが娘に金銭問題で迷惑のかからぬようにだけしたいとおもってます。

Commented by 40ansparis at 2014-06-06 20:42
hairprioriさん、そうです。パリにある橋の中でも一番豪華なので目立ちますよね。やはり蒔いて欲しい、と思われました?埋葬されるよりも、自由な感じもしますよね。
Commented by 40ansparis at 2014-06-06 20:50
ihokoさん、キリストのこと、失礼致しました。外側から見る人間って勝手な言い分していますね。
仰っている、日本人のその感じ、それがまさに諸行無常、、ですよね。諸行無常なんて言う言葉を知らなくとも、日本人の血にはその精神が流れている、これもすごい事だと思いませんか?
ただ、日本特有の体裁を気にする国民性が葬儀の時の洋服や決まり事など全てに現れていますよね。有名人の葬儀の様子をテレビで見ていてさえ、スタイルのラフさにびっくりしたりします。大切なのは心の中、と言う事でしょうけれど、日本は出来ませんよね。
Commented by 40ansparis at 2014-06-06 20:53
こすもすさん、日本が長年してきた風習ですから、簡単には変わらないし、変えられない事ですよね。
でも、これからは少子化、未婚の問題から、お墓や死後の事にもかなり影響はあるでしょうし、変わっていくでしょうね。
誰にも答えも出ないし、何が正解と言うものでもない、、、難しいお題でした。
Commented by whitelacenonyo at 2014-06-06 21:26
三都物語、三人三様ですが、根本では共通するところがありますね。
日本は八百万の神で柔軟な考えの宗教ですから考えようによってはラクです。

お葬式がラフ、、、これも神に召されて幸せなのよ。っていうせいしんなのでしょうか、、
日本は葬儀参列の礼儀を婦人雑誌に定期的に掲載されるほどがんじがらめの感があります。
それより心ですよね。
モンパルナス。ラパンさん、素敵!って言いそうになりましたよ。
死後の処し方は時代と共に変わっていくことでしょう。
Commented by kaori40712007 at 2014-06-06 21:32
お墓は、遺された者の為にあるもののように思います。だから、足元を見て高い墓地を売りつけたり、供養料を取る輩が出てくるのです。子孫を煩わせることなく、ふっと、露のように消えてなくなることが出来ればいいのにと良く思います。墓参りが供養ではなく、日常生活で、当たり前のように、亡くなった人に語りかけるように、想い出すことが先に逝った人への愛情であると思っています。いくら立派なお墓に眠っていても、誰からも慕われていなければ、忘れられているのと一緒です。愛し愛された人のハートが、本当の『お墓』なのでしょうね。わたくし個人としては、形としてのお墓なんかいらないとおもっています。何にも残さないのが清々しくて良いです。

形としてはっきり残っている「お墓」で最も印象深いのは、インドのタージマハルです。初めて訪れた時に、全身を優しいベールで包まれたように感じたのを想い出します。亡き王妃を悲しみ、悼んで全身全霊で王が作ったお墓・・・悠久の時を越えても失せない愛情というのは形になってあるものなのだと、今でもよく思い出すお墓の一つです。
Commented by 40ansparis at 2014-06-06 22:17
whiteさん、フランスの葬儀のラフさ、、実際には黒い服をもちろん着ている人は多いのですが、でも葬儀用スタイルと言うのはないように思います。例えば、夜のニュースなどのゲストに映画女優が出演する場合でも、フランス人の場合はかなりラフな格好で出演していますし、見た目を気にするか否かの考え方が全く普段から違うからだとも言えると思いますね。
日本の葬儀の儀礼や決まり事は難解で、、だからこそ伊丹十三監督の"お葬式"など、その難解さや堅苦しさを皮肉った映画が出来たりするのでしょうね。
Commented by ihoko at 2014-06-06 22:20 x
また来ました。葬式だけじゃなくてね・・。墓もなんですが、フランスはどうかわかりませんが、イタリアは、お墓に写真飾るんですが、この写真が、時々、どひゃ~~っ。だったり、幾らなんでも・・という物が結構あるんですよ。私のブログに乗せたマリアおばぁちゃんの写真は、亡くなる10年ほど前のものだそうですが、時々、80歳くらいで亡くなっているのに、20歳くらいの時の写真とか、今まで一番感動したのは、水着を着て、寝転んでピースサイン。なんかね。本人大真面目なんでしょうが、これは・・強力!という感じが、私好みなんですわ。


Commented by 40ansparis at 2014-06-06 22:26
kaoriさん、私も同じくお墓など自分には無くても構わないと思っています。
何処にあっても無くても同じ。仰るように
近くにお墓があっても誰も訪れないのであれば忘れられた存在になり、遠くても毎日何処かで思い、祈ってくれる方々が居たら、その方がずっといい。特に自分が海外に今は居るため、特にそう思います。
教会に行く、その事も同じです。
日本のお寺は、もちろんそのお布施などで収入を得ている部分もありますから、一概には否定出来ませんが、高齢化と少子化で一気に変わって行くのは避けられないでしょうね。
Commented by 40ansparis at 2014-06-06 22:29
ihokoさん、えー!あはは!
フランスは、写真付きのお墓はまだ見たことがないですね。。。
水着着て、さらにピースサイン、、、、
あ!でも、きっと、これって、これからの死後の世界が楽しくってよ!って皆さんウキウキと死後の世界を楽しむ妖怪さんになって行かれた、って事じゃないですかっ?!笑
Commented by いっこさん at 2014-06-06 23:13 x
たっぷり自分の時間に浸れましたか?ブログの世界にお帰りなさい。
石川県出身者として同郷の思想家、鈴木大拙の『禅』を通勤電車で少しずつ読んでいるのですが、???が続きます。
なかなか難解です。
Commented by nararanran at 2014-06-06 23:44
お墓、これから減っていくんのかな?
少し考えてみましたが
もし自分の両親や
子どもが先に・・・ってことを考えると
ここに眠っているんだって場所が欲しいなと思います。
今までも祖先は、ここに眠っていると思ってお盆やお彼岸にはお墓参りをしていました。
今でも、こちらではお盆に迎え火と送り火をしています。
会ったことのない先祖からの繋がりをお墓で感じていたように思います。
それが、今後崩れてゆくのかなぁ~って思うと・・。
今、生まれてきた子が先祖のお墓がなかったら
自分は、多くの先祖の血を引き継いでこの世に生まれてこれたんだって実感が減ってゆくような気もします。
(単なる私の勝手な考えですが)
一人でこの世に生まれてこれたんじゃない、
多くの先祖が生きてきたからこそ今の自分があるって事実を確認していたんだと
今、思いました。

わたしもお墓はいらないと思っていましたが
今回のお話で考えなおすきっかけになりました。
ありがとうございます(*^_^*)
Commented by 40ansparis at 2014-06-07 00:42
いっこさん、ありがとうございます。
禅についての本、興味深いですねえ。でも難解さがあると読み進めるのが辛いですね。日本人だってきちんと禅について語れるか?と言えば難しいですよね。
Commented by 40ansparis at 2014-06-07 00:48
らんさん、その、きちんと向き合う姿勢、素晴らしいと思います。
ご先祖さま、とまで行かなくとも、近い祖父母のお墓は、機会ある毎にやはり訪ねて
手を合わせる、それだけでも対話してきたような気持ちになったりするのが不思議です。それだけ存在感が大きいのでしょうね。
私は自分には無くても構わない、と思うのは、おそらく子供がいないから、かもしれません。綺麗に去る、、これって、なかなか出来ないですし、残った誰かに迷惑がかかる可能性があるのなら無くてもいいわ、と思うのです。私も色々考えさせられました。
Commented by Cecile at 2014-06-07 11:12 x
ダーリンは「死んだら灰を海にまいてくれ~」と言っています 笑。
葬儀は宗教によって様々ですね。カトリックの場合はcelablate of life と故人の人生を讃えます。人によっては「華やかなものが好きだった母のために黒服は着てこないで」と連絡したりして。
日本で以前所属していた吹奏楽団の元団長が数ヶ月前に亡くなったのですが、奥様の強い希望で花輪は音符の形にアレンジされ、彼の得意だったMy Wayを団員が演奏したそうです。

葬儀もそれぞれね。
Commented by 40ansparis at 2014-06-07 16:24
Cecileさん、ダーリンもやはり蒔いて欲しい派ですか〜、笑。
そうですよね、人によっては堅苦しい儀式を変えてオリジナリティ溢れるお葬式にする方もいらっしゃいますね。
お花をあえてカラフルにしてみたり、故人の好きなお花だけにしたり、、、。
世代も新しくなって行き、自由なスタイルも増えて行くでしょうね。
Commented by kanafr at 2014-06-12 04:48
先程whiteさんの所でも書いたのですが、お寺の娘であり嫁ぎ先もお寺だった友人が「お墓は別に必要ではない。それより最高のご供養はその方を折に触れて思う事」と言った言葉の通りだと思っております。
私もお墓は残された方の為にあるものだという考えなので、私自身は亡くなったら、無になる存在だと思いますので、何らかの処理をしなければならないなら、献体後はどこかに撒いてくれればいいと思っています。
あの人は、楽しんで生きていたわと、誰かが思ってくださればそれだけで十分です。
仏教は私もよく分からないのですが、高校の時歴史の先生が「仏教の基本的な考え方は、神の世界から人の世界に生まれ落ちた時から罪を背負っているのが人であり、人間の社会で行かに善行を施すかによって天に昇るかさらに地獄にくだるかが決まる。だから善い人間にならなければいけない」というものでした。
何だかそれも真理だなあと思い、ノートに書いた覚えがあります。
Commented by 40ansparis at 2014-06-12 07:02
kanaさん、本当に仰る通りだと思います。
折にふれ思い出したり、その方について語ったり、、、そうすると、その方がその話している方々の近くに来るのですよね。私は普段何も霊感などは感じないのですが、そういう経験は実際にしたので、やはりそういう事はあるのかもしれない、、、とそれ以降思っています。
高校の先生のお言葉、、、何かキリスト教にも他宗教にも通じるようなお言葉ですね。底辺に流れている基本の教えは、宗教を超えて同じ事を言っているのですよね。
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